第2回 良い「作文」を書くための条件

1 書く「技術」を学ぶ前に

 前回は、なぜ「作文力」が必要かについて、説明した。良い作文を書くには「技術」も必要だ、ということも述べた。ただし、そこでいう「技術」は、「伝えなければならないこと」を伝えるのに必要なものであり、「技術」さえあれば良い作文ができるというものではない。これから書こうとする「中身」がよくなければ、良い文章にはならない。同時に、書き手である自分と、読み手である他人との関係性にも、注意を払う必要がある。

 そこで今回は、「作文力」実践編に入る前に、良い「作文」を書くための条件をいくつかあげて説明しよう。ここで条件というのは、作文のための準備、あるいは心構えのことである。この条件は3つある。1つ目は、当たり前のようだが、これから作文する内容について、自分がよく分かっていること、2つ目は、自分自身に誠実であることが、良い作文の条件として必要である。3つ目として、読み手である相手の気持ちをよく考えることも、大事な条件といえる。

 この3つは、実は、ばらばらなものではなく、人と人のコミュニケーションを図るうえでの、必須の条件でもある。作文は、コミュニケーションの手段なのだ。前回の最後に、英語の学習を例にして「作文力」の重要性を述べたが、英語学習で強調されることの多いコミュニケーション力は、日本語の場合も重要である。日本語でしっかりコミュニケーションをとれない人が、英語を学んだとたんに、それができるようになることはない。繰り返すが、的確に「話す」ためにも、正確かつ分かりやすい文章を「書く」訓練が必要なのだ。

 前置きはこれくらいにして、それぞれの条件について、少し詳しくみていくことにしよう。

2 条件①――伝えたい内容をよく知っていること

 自分でよく分かってないことは、上手に書けない。当たり前すぎて、これは「作文力」の問題ではないと思うかもしれないが、そうとも言い切れないのだ。「伝える」達人、池上彰も、「伝える」ためには、「自分自身がしっかり理解すること」が大事だ、と強調している(池上彰『伝える力』、PHPビジネス新書、18ページ)。まったく同感である。ちなみに、池上は、NHKの週刊こどもニュースのおじさんだったキャスターである。

 学校でだされる宿題の作文でも、大学生のレポートでも、下調べをしっかりしないで良い文章を書くことなどできない。自分のこと、家族のことぐらいなら、調べなくても書けるかもしれない。しかし、その場合でも、記憶に誤りがないかを家族に確かめたり、日記やアルバムなどで事実関係を確かめた方がよい。まして、自分がよく知らないこと、たとえば「日本の農業の将来」とか、「これからの日米関係」といったテーマで作文をすることになったら、自分が納得するまできちんと調べることが必要となる。もちろん、専門家と同じくらいによく「分かる」まではいかないであろう。そういうときは、背伸びをしないで、よく分かった範囲で書けばいいのである。

 以上の逆、つまり、分かってもいないことを「作文」しても、読み手が学校の教師であれば、すぐに底は割れてしまう。あるテーマについて調べたが、どうしても分からないところが残ったら、その点については作文の中で触れない。触れる必要があるなら、「分からない」と正直に書くべきである。この最後の点は、作文力の2つ目の条件(誠実さ)に連なることなので、引き続いて、条件②に話しを進めよう。

3 条件②――自分自身に誠実であること

 2つ目の条件は、「誠実」でなければならないということである。いったい、宿題の作文に、どうして「誠実」などといった道徳的な態度が必要なのか。これについては、説明が必要であろう。話を分かりやすくするために、問題を逆転させて、知的に「誠実」でない作文とはどういうものか、例をあげることにしよう。まず、条件①にも関係することだが、自分がよく知りもしないことを、分かった振りををして書くのは、決して誠実な作文作法とはいえない。読書感想文の宿題で、本の最初と最後だけを斜め読みして、感想文をでっちあげるのも、不誠実な態度である。これなら、書かない方がましである(それで先生に怒られても、私は知らないが)。書く前に、書くべき内容としっかり向き合う。調査が必要ならしっかり調査をする。これをやって初めて、誠実な作文になるのだ。

 大学生の中にも、課題のレポートを書くのに、ズルをする学生がいる。インターネットでキーワード検索をかけ、集まった玉石混交の情報を適当に切り貼り(コピー・アンド・ペーストと呼ぶらしい)して、一見もっともらしいレポートを仕上げる。このような「作文」は、たんに不誠実だというにとどまらず、カンニングに等しい不正だということを自覚しなければならない。

 将来とも、文章を書くときは、相応の責任ないし自覚をもって書いてほしい。専門家を称する大人の中にも、いろいろな思惑から、科学的根拠もないのに、「原発は絶対、安全です」などと無責任なことを言う人がいる。人間だから間違うことはあるが、正しくないと分かっていてそう発言する人は、極めて「不誠実」な人である。昔、ある法医学の教授(東大)は、いくつもの間違った鑑定書を書き、それを自分の著書の中で自慢した。その間違った鑑定のせいで、何人もの無実の人が有罪とされ刑務所に入れられた。後の裁判で、次々と鑑定のいい加減さが明らかになり、出版社は、その教授の書いた本を絶版にした。これは20世紀の話しだが、似たようなことが今後起こらない保証はない。権威にあぐらをかいて手抜きの文書(鑑定書)を書いた責任は、歴史的事実として消えないのである。

 忙しい新聞記者が、ネット上の他人のブログから記事を借用したり、小説家が他人のアイデアを断りなく使って問題になったりするが、彼らも同罪である。残念なことだが、「誠実」でない作文の例は、いくらでも挙げることができる。

4 条件③――読み手の気持ちを考えること

 前回も書いたが、作文で伝えたい相手は、あなたの知らない人かもしれない。だとすれば、あなたは作文の読み手に対して、相応の敬意を払い、伝えるための工夫をしなければならない。これが3つ目の条件である。相手への敬意は、裏返せば自分への謙虚さでもある。会話でも文章でもそうだが、偉そうな姿勢で言っても、相手は心を開いて聞いてはくれない。やや抽象的に思われるかもしれないが、書く姿勢として、読み手の気持ちを考えることは、非常に大事なことなのだ。立派な人、偉い人が書き残した言葉は、大抵誠実で謙虚なものである。

 自分は大人ではないし偉くもないから、別に謙虚を心がける必要はない、と考えてはいけない。生徒、学生のうちは、偉そうに振る舞う心配はなさそうだが、その代わり、「ひとりよがり」という病気にかかることは、大いにある。この病気の症状は、伝える努力をしないで、相手に「分かってくれる」ことを期待する甘えた態度である。ここから脱却するのは、容易ではないが、そうならないためのヒントをひとつ提供しよう。それは、作文をするとき、自分の感情、気持ちをできるだけ抑えて書くことである。「ひとりよがり」の作文の特徴は、たとえば読書感想文なら、「この作者は好きだ」、「この本に感動した」、「登場人物の甲は嫌いだ」というように、自分の感情、感覚をそのまま文章にしてしまうことだ。こんなふうに書いても、自分と親しい読み手以外、共感を呼ぶのは難しい。

 きつい言い方だが、感情表現でコミュニケーションがとれるのは、きわめて少数の身内だけだと知るべきである。この点は、実は会話でも同様なのだが、書き手と読み手の間にタイムラグ(時間差)のある文章の場合、しっかり肝に銘じてほしい。

第一回 「作文力」をつける
第二回 良い「作文」を書くための条件
第三回 作文力-実践編

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