第1回「作文力」をつける

1 はじめに

 学校の勉強は、どの科目も大切で、そこに優劣はない。ただ、あえて順番をつけるとすれば、とくに若いうちに、できれば小学校、中学校のうちから「作文力」を身につけるように努力してほしいと思う。ここに「作文力」とは、なにも特別な国語的能力のことではなく、ごく単純に「読みやすく」、「分かりやすく」、「正確な」日本語の文章を書く力のことである。文章力といってもいいが、国語的な「力」というよりもっと一般的な「書く力」を言いたいので、あえて「作文力」という言葉を使ってみた。

 もちろん、義務教育の最初から、読んだり書いたりする勉強はたくさん行われている。多くの優れた文章に触れ、漢字や熟語もたくさん覚えさせられる。作文も、いろいろな機会に何度もくりかえし練習してきたはずだ。ただ、それでも、大人になって「作文力」のない人、ないために苦労している人は、とても多い。私の同僚の大学教師達は、入学してくる学生の「作文力」の足りなさを嘆いている。大学生や社会人になって、それに気がついても遅いのだ。学校の勉強をするときにも、ただばくぜんと文章を書くのではなく、書く力を身につけるという自覚をもった勉強をしてほしい。私がこの文章を書いている目的は、まさにそのことを知ってもらうためである。

2 なぜ「作文力」が重要か?

 ここで、なぜ、どういうときに作文力が必要になるかを説明しよう。たとえば、学校の宿題で文学作品を指定され、読書感想文を書くように求められたとする。私にも記憶があるが、宿題でする読書は味気なく、しかも先生が気に入るような「感想」をふくらませて原稿用紙のマス目を埋める作業は、決して楽しいものではない。こういう体験を重ねるうちに「作文」が嫌いになってしまう生徒は、今でも多いのではないかと想像する。たしかに、これでは楽しくないが、将来「作文力」が必要とされる場面では、これとはまったく事情が違う。何が違うか。大人になると、まず、「伝えなければならないこと」が、自分にふりかかってくる。たとえば、裁判官は、裁判の結果を、判決書にまとめて原告、被告に伝えなければならない。サラリーマンは、出張先でやり終えた仕事を会社に伝えなければならない。私は学者だが、研究した成果を、学界や社会に伝えなければならない。

 そして、ここが大事なのだが、伝えなければならない相手は、あなたと親しい相手とはかぎらない。よく知らない人間だったり、場合によってはあなたに好意的でないことだってある。だから、伝えるための文章は、分かりやすく、正確でなければならないのだ。学校でする作文の学習がつまらないのは、生徒に、どうしても伝えたいことがないからである。ラブレターを例にあげるまでもなく、本当に伝えたいときは、必死になるものだ。ただ、それまでの準備が足りないと、そのときになって困るのである。

 もちろん、義務教育を受け、高校まで卒業して、まったく文章を書けない人はいない。それなりには書ける。しかし、それなりの文章と、作文力のある人間の書いた文章との間の差は大きい。 その差は、目先のことでいえば、入学試験などで課される小論文、大学の成績を左右する定期試験、レポート、あるいは入社試験などであらわれる。しかし、社会がたくさんの人間関係でなりたっている以上、コミュニケーションの「道具」としての作文ができなければ、世の中を渡っていけないといっても大げさではない。それくらいに重要だということだ。

3 作文力は「技術」である。

 作文力は「道具」だと言った。「道具」ということは、「技術」だということでもある。言い換えれば、作文力を身につけるためには、その「技術」を磨かなければいけないのだ。日本人は、「技術」というと一段低いもののようにみる傾向がある。中身がよければ、伝える「技術」がなくたって、おのずから伝わるものだ。こういう精神論が、少なくとも最近まで日本社会を支配してきたようだ。たしかに、家族内や親しい友人の間であれば、各人が思っていることもおのずから伝わるが、世の中はそれで済まない。人間だけに与えられた「言葉」が、実に良くできた伝達のための「技術」であることを、改めて確認し活用する必要がある。

 まず、「技術」だから、それを学べば、習得することができる。言葉を用いた芸術作品、たとえば俳句、短歌、小説などは、もって生まれた天分が多いに関係しているから、つくる「技術」を学んだだけで優れた作品が生まれる保証はない。ふつうは生まれない。これに対して、ここでいう「作文力」は、「技術」を伝えることで身につけることができる。芸術的センスと違って、書く「技術」はすべての人に必要であり、努力で身につくものだ。

 次に、「技術」とはいっても、「作文力」という技術は、マニュアルに従って携帯メールを送信するような部類の技術とは違う。先に、「伝えなければならないこと」を伝えるのに作文力が必要だと述べたが、何をどう伝えたいかは様々であり、簡単なマニュアルに整理することは、おそらく不可能である。それでも「技術」である以上、ある程度は可能であり、だからこそ、書店に行けば、『作文の書き方』といった本がたくさん並んでいるのである。ただし、それらの本は、ヒントにはなっても、読めば必ず作文力がつくというわけにはいかない。自分に合ったノウハウを、自分でみつける必要があるのである。

4 英語の学習と作文力

 ところで、私たちは、言葉を使ってコミュニケーションしているが、それには、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4つがある。作文力は、このうち「書く」能力に関するものであり、言うまでもなく、この4つはそれぞれ独自の努力で力を伸ばしていく必要がある。英語の学習を思い出すとよい。英語学習で、ある程度読めるようになっても、「書く」ことは読むよりずっと難しい。学校でも、「読む」練習とは別に、英作文の練習をする。ふつうは、少し高度な英語が読めるようになっても、同じレベルの英作文を書けない人の方がむしろ多い。逆にいうと、どの程度しっかりした英語を書けるかで、その人の英語力が分かる。バイリンガルを別にすれば、英語を書けないのに高度な内容を「話す」ことなどあり得ない。もちろん、「英会話」に慣れることは重要であるが。

 英文学に興味がなくても、英語は必要である。ヨーロッパでもアジアでも、英語によって目的を達することのできる場面は、実に多い。同じように、日本文学に興味がなくても、「技術」としての作文力は必要である。それが身につくことで、「話す」「聞く」力も確実に向上する。くりかえすが、作文力とは、文学史に残る名文を書く力ではなく、読みやすく、分かりやすく、正確な日本語の文章を書く技術のことである。

第一回 「作文力」をつける
第二回 良い「作文」を書くための条件
第三回 作文力-実践編

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白取教授コラム ~ 「作文力」の重要性について ~ 1│小学生専門の家庭教師サービス|札幌市「(株)シニア」札幌家庭教師派遣センター